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               「映画時代」1930年2月号所載

  「パンドラの箱」合評会
映画「パンドラの箱」は日本での封切り前から大きな前評判に沸いていた。すでにブルックスはいくつもの明朗なフラッパー映画によって、新しい時代の性的イメージを確立していたからである。深刻なリアリズム映画にブルックスが起用されたのは、それまでのブルックスを知る者にとってはセンセーショナルな出来事であり、その演技や監督パプストがどれだけ彼女の魅力を引き出せるかに興味が集中していた。この合評会では各人それぞれの「パンドラの箱」に対する賛美や失望が窺い知れる。

             

             1927年6月号の表紙。           座談会の頁扉。

出席者
池谷信三郎 北村小松 菅忠雄 酒井眞人 矢野目源一 高橋邦太郎 武田麟太郎 杉本彰 古川緑波
昭和4年11月19日  於 神田 多賀羅亭
【古川】まづ題名の「パンドラの箱」その伝説から御話を願ひませう、    矢野目さん−
【矢野目】パンドラの箱の伝説といふのはね、昔、昔その昔だ、プロトイスといふ人が神様から火を盗んだ。神様は大切な火を盗まれて、人間が火などを持つ様になつてはえらくなつて困る。そこで、パンドラといふきれいな婦人を造つて、その婦人の処へ天使が箱を持つてくる。そしてこれは開けてはいけない。といつておいたのにパンドラはそれを開けて了つた。つまりその箱といふのは日本の昔噺にある舌切雀のつゞら見たいなもので、悪徳が一杯に入つてゐて開けたが最後全世界に拡がる。−つまりパンドラがなかつたならば全世界の悪徳といふものもなくてすんだ。伝説は之だけですね。アダムとイヴに於ける林檎の役を此の箱が務めてゐるわけです。
【古川】此の映画の原作と伝説との関係は−
【池谷】此の写真はエルドガイストとパンドーラを一緒にしてありますね。題に「パンドラの箱」と附けたのはほんの象徴的なものでせう。ルル自身がちつとも悪徳だといふわけではなく、あゝいふ女が知らず知らずに悪徳を作り出すといふ様な処をねらつたんでせう。
【高橋】そう、彼女自身は悪徳ではないな。
【池谷】マリヤ・オルスカの「ルル」とは全然ちがつたものだ。オルスカのルルつていふのは欧羅巴を風靡した一つの型なんだ。オルスカつて人は「ライン悲想曲」に出てゐた。尤も日本へ来た分は短くなつてゐるんで、オルスカの所はなかつた様だ。此の写真はつまりパプストの解釈でルルが悪いのではなく環境があゝいふタイプを造つた。現代の悪徳があゝいふ女を造つたといふことになつてゐる。オルスカのルルは積極的で、もつと淫蕩的だ。此の写真のはそういふ意味からでも少し無邪気すぎる様だね。
【杉本】此の写真は芝居のルヽに近いです五幕物で之に似たのがあります。
【古川】ストオリーとしては何うお考へです?
【北村】主人公でぐつと押してゆくか、環境で押すかどつちかはつきりするとよかつたと思ふ。少し中途半端な−
【酒井】実際環境をもつと出したかつたな。ルルが途中で若干性格の変るやうなところを見せたかつたな。
【高橋】ルルが逃げ出して船に乗りましたね。あすこでぐつとメークアツプも変つて来た。
【武田】生活が変つたからでしよう。
【高橋】あれは何の船だろう。悪い場所なんだね。

高橋邦太郎。純粋なひとである。
【池谷】活動としてはストオリーがむづかしすぎやしないか。
【古川】あのストオリーをあゝ云ふ風に脚色するのはうそだつて気がしましたね。
【北村】僕もそう思ふ。一寸芸がないなあ、
【矢野目】監督のパプストが使ふものは一体に簡単なんだが−「嫉妬」「喜びなき街」「心の不思議」なんかの様に。

「パンドラ」も充分に単純なストーリーだと思うが、当時はあれでもややこしく感じられたのか、検閲禍が加わって単純なストーリーがややこしく映ったか。
【古川】此の写真は検閲はどうだつたんだろう?
【矢野目】宣伝部の渡邊さんから聞いたんだけれど博士と秘書のアルワは親子なんだ相ですね。それでは日本では通りつこないよ。
【古川】初めに出て来る汚い男、あれをパトロンと言つたのはどういふんだろう。
【池谷】夫(それ)は、ルルのトリツクだよ。
【杉本】あのタイトルは此方で書いたのがありますね。
【渡邊】えゝ、五六枚直しました。

「パンドラの箱」はかなり検閲の鋏がはいったが、この会話ではシーンの合い間に入るサブタイトルの台詞が変更されて、ストーリー自体が骨抜きになった様子が窺える。すなわちシェーン博士とアルヴァが親子で一人の女と情を通じたなどというのは日本の戦前の道徳通念上は許すまじきふしだらだったので、親子関係を伏せて博士とその秘書という設定に変えられたのである。しかも冒頭部に登場する養父(でありルルの処女を奪った男)シゴルヒも「パトロン」にされている。こちらも血縁関係がないとはいえ父娘の怪しい関係を一寸でもにおわせてはならないという配慮がはたらいたものであろう。
【矢野目】此の脚色を云々することになると、ドイツのミステイシスムを論じなくちやならない。ドイツの文芸の基調をなしてるのがアンテレクチユアリスムで、夫(それ)が脚色の上を支配してると思ふ。
【池谷】ミスチイスムはないと思ふけれど−
【北村】此方ならサブで運ぶ所を場面でやつたりしてるのが随分ある。
【古川】裁判所へ行く所なんか、故意となんだらうが、タイトルで初めてあつたね。
【北村】あれは脚色のミソかと思つた。だとするとまづい。頭が悪い。
【古川】脚色としてはうまくないですね。

「サブ」はサブタイトルのことだろうか。日本ならば台詞のタイトルで済ませるところをご丁寧に撮っている、ということを北村は言っているが、プロットについて北村と古川の両人はきびしい。
【杉本】同性愛は分るかしら−。
【高橋】男性的な感じがあつて、夫(それ)は分るよ。
【池谷】同性愛なんてあんなものかしら。
【古川】船の酒場でルルに頼まれて男をだます所なんかよく感じを出してゐたよ。活動で同性愛を扱つたのは余りないが、之など役者がいゝので成功してゐるな。
【武田】ダンスの時、ルルの匂をかいでましたね。

親子丼はいけないが、同性愛には寛容だったらしい。ブルックスいわく「映画史上初のレズシーン」はなかなか好評だ。日本の精神的土壌が自己犠牲をともなう同性愛を容認する歴史文化であるので抵抗が少なかったものとおぼしい。ただ小生、あのアリス・ロベールの伯爵令嬢はいかにもいかつくて、ルルへの愛情表現も大芝居に思えた。
【北村】ルルは一体、ルイズ・ブルツクスの型かしら。
【矢野目】アスタ・ニールセンあたりぢやないか。
【古川】大衆的にするためにはリア・デ・プチだな。
【杉本】ルイズ・ブルツクスはわざわざえらばれたんだが、パプストの気に入らなかつたらしい夫(それ)から、シエーン博士の許婚の女優は大変なんだ。伯爵の娘かなんかで、やつと出てもらつたんだよ、「ジヤンヌ・ネイの愛」にも一寸出てゐる。
【高橋】レビイウ劇場の舞台裏の忙しさは感心した。よく気分を出してゐるよ。シーンを真直ぐ見ないで面白い角度を撮つてゐる。
【菅】観客を一人も出してない。
【高橋】見物席から見る分は一つもない。
【池谷】あのシーンのキヤメラはよく使つてあるね、そのテンポの速い後に裁判所が来たのでひどく退屈したな。
【酒井】凡そ裁判所はいかんね。
【菅】裁判所から突如誰もゐないシエーン博士の家へ帰つて来る。
【古川】あれはルイズのせいだが、家へ帰つて来て、風呂へ入つたり、流行雑誌を見たりしてるのが、イタにつかない感じだね。
【杉本】僕はルイズに絶対好意が持てる。
【池谷】演技でなく、ポーズのみだよ。
【北村】演技なんか気にならんよ、とてもいゝ。

このあたり、座談会の面々のブルックスに対する思いが表れていて興味深い。古川緑波と池谷信三郎はブルックスを高くは評価せず、杉本彰と北村小松は無条件でルルに参っている。
【矢野目】ドイツの写真はフランスと比べると美といふものを重要しないで、光を重要する。大抵の絵はセツトで片づける傾向があります。天然の美を重要しない。「カリガリ博士」なんか全部セツトでしたものね。
【古川】今度は一つ監督に就て御話し下さい。
【池谷】監督がルルを如何に解釈するかといふことになる。
【古川】あのストオリーであの結末が妥当かな。
【北村】とは思はないね。霧の中に消えて行つて救世軍に救はれるんだろう。
【古川】だが、あそこへ殺人魔を出すのは変だね。
【菅】殺人魔がルルの室に入つてからナイフを見る。あのナイフを出す   なんかいや味だね。
【武田】併し、そこでローソクをじつと見る所はいゝ。
【古川】蝋燭はいゝけれど、役者がいけない、芸が足りない。

古川ロッパ、散々な言いっぷりである。

【北村】実際あそこは芝居のしどころなんだがな。
【矢野目】あの火を見る所でも、そうだがドイツ人はどうもどんなリアルな作品でも象徴的にしたがる。社会つてものを考へると、すぐ道を考へるらしい。題名でも何とかの道と来たがる。
【北村】一体にカンドコを押へてもつと省略出来ますね。
【酒井】見応へはあるな。
【武田】見てると緊張でくたびれる。

武田麟太郎は座談会を通じてほとんど発言せず、たまに口を出したかと思うと「ダンスの時、ルルの匂をかいでましたね。」などと毒にも薬にもならぬ事を冷静に云い放つので至極不真面目である。
【池谷】ルルといふ型はとにかく出来上つてるんだ。夫(それ)に叛逆してるんだから堅くなるんだね。
【古川】今度はカメラを一つ−
【池谷】さつきも云つたけど、舞台裏の感じはよく出してあつた。
【高橋】アメリカではレヴイウなんかキレイに撮りたがる。夫(それ)を此れでは当り前に撮つてるから嬉しいよ。
【古川】スクリンなんか随分使つてるらしい。
【矢野目】法廷の場でドシンと坐る所、仲々こつてる。
【古川】全体として、カメラや現像、技術方面はいゝですね。
【酒井】救世軍のシーンの光線なんかうまいよ。
【古川】技術方面はガツチリしてる、今度は役者に移るんだが、男の方は皆芝居をするのに、女の方は芝居が下手で、水と油の感じだね。
【池谷】ルイズは芝居は駄目だが、ポーズはいいな。
【矢野目】ドイツ人はルイズのインテレクチユアルな所を買つたんだと思ふ。顔が瀬戸物で出来た様な感じが、あのアーテイフイシヤルな所がセツトの好きなドイツ人の気に入つたんだろう。
【古川】それなら、ルイズのメーキアツプをも少し考へていゝと思ふね。

池谷はそれでもブルックスの姿態を褒めているが、古川はケンモホロロ。よほど趣味に合わなかったのだろう。

【武田】親爺はうまいと思つた。
【北村】いゝ顔だ。
【池谷】あの殺人鬼はどうだらう。
【古川】あれは一寸分らなかつたよ。
【武田】突然でしたね。
【北村】突然といへば全部が突然だつたよ。

この感想も検閲禍によるものか。
【古川】アルワはうまかつたね。
【北村】話はもどるけど見てると、全体が筋運びになつてる。洒落なんか一つもない。
【池谷】洒落はドイツ人に分らないんだろう。
【古川】脚色はうんとやり様があると思ふよ。原作にわざと負けたんぢやないか。そこにいゝ所があるつもりで−
【北村】脚色者が「パンドラの箱」なんかに持つて来ずに、自分のものにして全然やつたらと思ふね。
【古川】とにかくいゝ写真だと言ふことには皆一致しますね。−では、此処らで終りにしませう。どうも色々と有難う御座いました。

今日でこそブルックスの代表作といえば「パンドラ」と相場が決まっているが、当時の日本の映画ファンにとってリアリズム描写は堅苦しく遊びが無さすぎに映ったようだ。

おかしいのは司会の古川ロッパで、散々ブルックスを貶しておきながら、締めは「とにかくいゝ写真だと言ふことには皆一致しますね。」ときた。ひどいやっつけ座談会だが、そんなところもヱロとスピードとナンセンスの昭和初期の雰囲気を濃厚に感じさせて面白い。


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